コラム/エッセイ

医療者とのコミュニケーションの取り方
~主体的に医療を受けるために~

Communicating effectively with medical proffessionals

Vol.07

映画『SiCKO(シッコ)』を見て考えたこと-医療費をどう負担するのか

突撃取材、コミカルかつ辛らつな批判で独自の作風を築くドキュメンタリー映画監督マイケル・ムーアの最新作『SiCKO(シッコ)』を見てきました。

医療関係のメーリングリストで、「先行上映や試写会で医療関係者が号泣していた」との情報をいくつか目にしていたので、なにがそんなに琴線に触れたのかが気になり、地元札幌で上映初日に出かけました。札幌の小さな映画館は、レイトショー(深夜に上映される映画)だったせいか、空席も目立ち、ブログやメーリングリストに見られる関心の高さからは予想外でした。

映画の内容は、アメリカの医療保険制度の破綻ぶりを批判したものです。アメリカ医療制度の問題といえば、無保険者の存在がまず挙げられますが、実は、かろうじて国民のマジョリティーである民間保険に加入している人が、市場原理の下で、ろくな医療を受けられていない大問題があります。ムーア監督が、インターネットを通じて、医療保険でひどい目にあった事例を募ったところ、1週間で2万5000件もの投書があったといいます。その個々の事例を紹介し、カナダやイギリス、フランスの医療事情と比較することで映画は進んでいきます。これから見る方のために詳細は避けますが、アメリカでは医療保険に入っている人が、皮肉にも保険制度のせいで、受けられるべき治療が受けられず命を落としたり、家も財産も失ってしまったりしているのです。

OECD(経済協力開発機構)が2007年に公表した調査では、アメリカは対GDP(国内総生産)比15%超(OECD加盟30か国中1位、 「OECDヘルスデータ2007」より)の医療コストをかけているにもかかわらず、映画では、乳幼児死亡率や平均寿命の点で他の先進国より劣る点を指摘し、医療保障に限らず、他国の社会保障の充実ぶりにも言及しています。しかし、映画では、アメリカの医療のよい点については触れられていません。やや古いデータ(1998年)ですが、100床あたりの医師数が日本の12.5人に対して71.6人。看護師数が日本の51.2人対して221人と、入院に関しては手厚いケアが行われているのです。重篤な病気で入院してみるとわかりますが、日本の病院では、1日に1回主治医が顔見せ程度に病室に来るか来ないかで、心細い思いをさせられ、病院に滞在する意味を感じにくいことがあります。マイケル・ムーアの“わかりやすい”ドキュメンタリーは、時として物事の一面のみを捉えている場合があります。

ひるがえって日本は、公的な国民皆保険制度の下、対GDP比8%(同22位)のコストで世界最高長寿を実現しています。では、日本の医療制度は文句なしでしょうか。健全な皆保険制度が今後も持続していけるのか考えてみましょう。

日本が“世界に誇る”皆保険制度は、1961年(昭和36年)に実現しました。そして、徐々に変質を続けています。まず、国民皆保険制度は、実現された当初は、患者の窓口負担がゼロでした。ところが、84年には窓口負担が1割になり、97年には健康保険が2割負担になり、2002年には国保・健保ともに3割負担になりました。2006年には70歳以上の高齢者にも3割負担が課せられ、今では、保険料を払いながらも、国民の85%が窓口でかかった医療費の3割を支払っています。ヨーロッパの皆保険制度を持つ国では、窓口での負担は原則ありません(参照:Webサイト「医療費の窓口負担ゼロの会」)。

生活困窮を理由とする医療費滞納の増加も問題になっています。国立病院機構146病院で、集金できていない治療費の残高が2007年1月末、約46億4000万円になっているそうです。全国の病院の6割以上が加盟する協議会の調査でも、加盟5570病院の未集金が2002年度からの3年間で853億円以上と推計されています(「読売新聞」2007年8月10日)。保険制度の基盤そのものも、危うくなっています。国民の40%が加入する国民健康保険は、約20%の480万世帯が保険料を滞納し、最大約4.8倍の保険料の地域格差が生じているそうです(「山陰中央新報」2007年7月10日)。

低コストで、よいサービスが実現されているはずの日本の医療ですが、患者にとっては、じわじわと負担が増え、これ以上払えない人が脱落していっているのではないでしょうか。日々患者さんと接している医療関係者の方々は、変化を肌で感じていらっしゃることでしょう。

日本では医療費が増加しているのに対して、国庫負担率は増えていません(ピークの1980年30%から2007年現在約25%)。減った分は保険料と窓口支払いがカバーしています。医療サービスを受けるために、個人の財布から直接出て行くお金は確実に増えているのです。

一方で、「がんナビ通信」2007年8月28日の記事によれば、厚生労働省の検討会から、未承認薬のコンパッショネート・ユース(CU)を制度化すべきとの報告が出されたといいます。これは、重篤な病気の場合、未承認薬を患者が利用できるようにする制度で、これまでのように一部の医師による個人輸入や治験参加に頼らずに、薬を使いたい患者の希望が尊重されるようになる制度です。保険で認められない治療に、個人の財布から金を出せばアクセスできるようになる第一歩といえるかもしれません。

おりしも2007年8月25日は新聞各紙で、国民医療費が前年度より1兆円強増え、過去最高の33兆1289億円になったことが報道されていました。今後、この医療費を増やすのか減らすのか、財源は医療保険がまかなうのか、税金で徴収するのか、よく議論する必要があることは間違いありません。そのときに、我々は、映画のラストにマイケル・ムーアが述べていたことに耳を傾ける必要があるでしょう。「船に乗るのも、溺れるのも一緒」。少子高齢化がさらに進む現在、豊かな人だけが最高のサービスを享受する方向では、日本が世界に誇ってきたシステムが維持できないことは明らかなのです。

※参考Webサイト:映画『シッコ SiCKO』公式サイト

(2007年9月執筆)

難波 美帆
難波 美帆
1971年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科 准教授。 サイエンスライター。患者向けがん雑誌の編集に携わるなかで、チーム医療の理念に共感する。アドボカシーを担うNPOや出版活動に関心がある。